30 Avenue Montaigne
モンテーニュ通り30番地の中心部に足を踏み入れてみましょう。「ミツバチがひしめき合う小さな巣箱」のようなこの場所で、75年前にクリスチャン・ディオールの伝説が生まれました。
「Parfums Christian Dior」の監修は創設時より、クチュリエの幼い頃からの友人であるセルジュ・ヘフトラー=ルイシュが務めました。フランソワ・コティと働いていた彼は、まさに理想的な人物でした。クチュールメゾンのオープン前に、彼は会社設立を提案していました。その1年後、初めてのフレグランスとして、クリスチャン・ディオール最愛の妹であるカトリーヌへのオマージュとして名付けられた、「ミス ディオール」が発売されました。
「Parfums Christian Dior 」のカウンター、1949年頃。
洗練のシンボルとなった、古代ギリシャ・ローマ時代の壺であるアンフォラを象った「ミス ディオール」のボトルと、1949年に発表された「ディオラマ」のオベリスク。これらは、1953年にモンテーニュ通り30番地限定で発売されたリップスティックのキャップ デザインにインスピレーションを与えました。クリスチャン・ディオールが選んだファブリックのカラーに合わせ、リップスティックは8色で展開しました。その2年後、22色のリップスティックが登場。さらにその翌年には、クリスチャン・ディオールの幸運の花、スズランをコアノートとする新たなフレグランス、「ディオリッシモ」が発売されます。
1953年までには、フランソワ・プルミエ通り13番地のメインフロアを占める「Parfums Christian Dior-Paris」が、86か国のフレグランスの製造と流通を統括するようになりました。ただし、1948年に創設された「Parfums Christian Dior New York, Inc.」は例外として、輸入フレグランスと輸入化粧品を販売していました。
1947年にクリスチャン・ディオールは、1930年代からの友人であるイラストレーターのルネ・グリュオーにフレグランスの広告製作を依頼しました。
1963年頃、クリスチャン ディオールの4種類のフレグランス「ミス ディオール」「ディオラマ」「ディオリッシモ」「ディオーリング」のためのルネ・グリュオーによる広告。
モンテーニュ通り30番地の中心部に足を踏み入れてみましょう。「ミツバチがひしめき合う小さな巣箱」のようなこの場所で、75年前にクリスチャン・ディオールの伝説が生まれました。