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History

クリスチャン・ディオールと彼の6人の後継者の作品を通して、メゾンの豊かさをご覧ください。

1905
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1905

クリスチャン・ディオール 誕生

グランヴィルで過ごした幼少期

クリスチャン・ディオールは1月21日、ノルマンディーのグランヴィルで、アレクサンドル・ルイ・モーリス・ディオールとマリー・マドレーヌ・ディオール (旧姓マルタン) 夫妻の間に、5人兄弟の2番目として生まれました。1832年に設立された肥料および化学薬品の製造事業により、一家は余裕のある暮らしを送っていました。

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1915年頃、「レ リュンブ」のヴィラ。
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1906年1月、1歳のクリスチャン・ディオール。

幼少期を過ごした家は、とても柔らかなトーンのピンクで彩られ、そこにグレーが組み合わされていました。クチュールでもこの2色は常に私のお気に入りです。

クリスチャン・ディオール、『Dior by Dior』、1958年

1906

Les Rhumbs

ディオールの家族は、グランヴィルの高台にある「レ リュンブ」のヴィラに住むようになりました。

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1910年頃のディオール一家。ノルマンディー州グランヴィルにあるヴィラ「レ リュンブ」のガーデンテラスにて。
1910

Paris

ディオール一家はパリ16区に引っ越しましたが、休暇や家族との集まりの際は「レ リュンブ」のヴィラを訪れていました。

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1925年頃、ルイ・ダヴィッド通り9番地にあるディオール一家のアパートメントの内装。

1920

黄金の青春時代

1920年代、クリスチャン・ディオールはパリで文化的な活動に没頭し、当時のアーティストたちと友好を深めました。

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1928年、ポール・ストレッカーによるクリスチャン・ディオールのポートレート。
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1930年頃、フリーマーケットを訪れたクリスチャン・ディオールとクリスチャン・ベラール。

「友人と知り合ったきっかけ? それはゲーテが『選択的親和性』と呼ぶ不思議な法則に則ったものでした。ジャン・コクトーとマックス・ジャコブの庇護のもと、画家、作家、ミュージシャン、デザイナーが集ったにすぎません」

クリスチャン・ディオール、『Dior by Dior』、1958年

1928

ギャラリー ジャック ボンジャン

クリスチャン・ディオールは、友人のジャック・ボンジャンとともに、ラ・ボエティ通り34番地にアートギャラリーをオープンします。1956年、彼は次のように語っています。「私たちの夢は、最も憧れた巨匠たちを中心に据えた展示を行うことでした。ピカソ、ブラック、マティス、デュフィ、そして、個人的な知り合いであり、すでに高い評価を受けている画家たち、クリスチャン・ベラール、サルバドール・ダリ、マックス・ジャコブ、バーマン兄弟ら……」。1932年、彼はピエール・コルとパートナーシップを結び、カンバセレス通り29番地に新たなギャラリーをオープンさせました。1933年、シュルレアリスムをテーマにした展覧会を開催。

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1930年頃、ラ ギャラリー ジャック ボンジャンへの招待。
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1933年、パリのギャラリー ピエール コルにて、シュルレアリスム展のマン・レイ。
1931

マドレーヌ・ディオールの死

この年、ディオールの母が亡くなります。さらに投資の失敗により、父の事業も破綻しました。

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1931年5月4日、マドレーヌ・ディオールの死亡記事。

1935

イラストレーターとしてのクリスチャン・ディオール

クリスチャン・ディオールは、婦人デザイナーやジャン・パトゥ、スキャパレリ、マギー・ルフ、ウォルト、バレンシアガ、モリヌー、パキャンといったクチュールメゾンにデッサンを販売し始めます。また、『Le Figaro』紙や『Jardin des Modes』誌のイラストレーターとしても活躍するようになります。

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1939年5月4日と11日付の『Le Figaro』誌の女性向けページに描かれた、クリスチャン・ディオールのイラスト。

「1938年、ピゲから、メゾンデザイナーとして働かないかと打診されました。私は大興奮で、すぐにオファーを受けました。私はとうとう、アイデアを1着のドレスに生まれ変わらせるミステリアスな方法を知ることになったのです。私はシャイになりながらもその魅力にのまれ、プルミエールとワークルームの世界に足を踏み入れました」

クリスチャン・ディオール、『Dior by Dior』、1958年

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1939年頃、クリスチャン・ディオール (右)。ロベール ピゲにて。撮影:ウィリー・メイワルド

1939-1940

軍隊に動員される

この頃、クリスチャン・ディオールは徴兵により軍隊に動員されました。その翌年に退役した彼は、フランス南部のカリアンに暮らす父と妹の元へ身を寄せます。

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1940年頃、第47期技術団に動員されたクリスチャン・ディオール。
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1940年1月2日、クリスチャン・ディオールが動員期間中にデザインしたメニュー。

1941-1946

Lucien Lelong

クリスチャン・ディオールはルシアン・ルロンのメゾンで、デザイナーとして雇われます。

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1944年頃、ルシアン・ルロンのためのデザインスケッチ。
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1944年頃、ルシアン・ルロンのためのデザインスケッチ。

「ポール・カルダゲスが、ルシアン・ルロンに私を紹介してくれました。ルシアン・ルロンは、その場で私と契約を交わしてくれた人です。ルロンのメゾンは、クチュールを学ぶことのできる素晴らしい場所でした。ルロンはピゲと比較してかなり大規模なメゾンでした。私はそこで、自分の新しい職業についてかなり多くのことを学びました」

クリスチャン・ディオール、『Dior by Dior』、1958年

1944

Catherine Dior

妹のカトリーヌは、レジスタンス運動家(フランスレジスタンスのメンバー)として告発され、ラーフェンスブリュックに収容されました。解放されたのは1945年のことです。

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1940年頃、カトリーヌ・ディオール。
1946
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1946

クリスチャン・ディオールのファッションメゾンの創設

クリスチャン・ディオールのファッションメゾンの創設

クリスチャン・ディオールと実業家のマルセル・ブサックが手を組み、クリスチャン・ディオールのクチュールメゾンを創設しました。12月16日、3つのアトリエと85人のスタッフを擁するメゾンが、モンテーニュ通り30番地にオープンしたのです。

「私がモンテーニュ通り30番地に移ったのは1946年のことでした。この楽しいメゾンには、エレガントな部屋とサロン、私たち85人を収容することのできる小部屋やスペースが備えてありました」

クリスチャン・ディオール、『Dior by Dior』、1958年

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1947年2月12日にモンテーニュ通り30番地のサロンで開催された、最初のオートクチュールコレクションショー。

1947

ファーストコレクション

ファーストコレクションである1947 春夏 コレクションは、2月12日にモンテーニュ通り30番地のサロンで発表されました。ディオールは新作ラインを「コロル」、そして「ユイット」と名付けます。『Harper’s Bazaar』編集長のカーメル・スノーはこう宣言しました。「親愛なるクリスチャン、これは素晴らしい革命よ!まさにニュールック!」

1947

Parfums Christian Dior

3月4日、「Parfums Christian Dior」が設立され、ディオールの幼なじみ、セルジュ・ヘフトラー=ルイシュがディレクターに就任。12月には初の香水、「ミス ディオール」が発売されました。

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1947年、「ミス ディオール」フレグランス。
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1947年12月17日、初めてのフレグランスである「ミス ディオール」のリリースを知らせる招待カード。
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1947年9月9日、ダラスにて、ニーマン・マーカスのファッションアカデミーを受賞するクリスチャン・ディオール。

1948

Christian Dior-New York

5番街にChristian Dior New Yorkがオープン。敷地内で製作されたラグジュアリーなプレタポルテとアクセサリーの限定コレクションを展開。同年、Christian Dior Perfumes New York Inc.が設立されました。

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1952 春夏 Christian Dior-New Yorkコレクションのスケッチ。
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Christian Dior-New Yorkの最初のコレクション、1949 春夏 コレクションを制作中のクリスチャン・ディオール。1949年6月27日発行の『ELLE』誌。

1948

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クリスチャン・ディオールは、パリ近郊のミリー ラ フォレにある古い水車小屋「ムーラン デュ クードレ」を、コレクションの合間の休息の場として購入します。

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1949年、ミリー ラ フォレ滞在中のクリスチャン・ディオール。

1949

フレグランス「ディオラマ」発売

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1949年、フレグランス「ディオラマ」

1950

レジオンドヌール

テキスタイル産業とファッションのクラフツマンシップへの貢献が認められ、クリスチャン・ディオールはフランスのレジオンドヌール勲章を受章します。

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1950年2月9日、ミリー ラ フォレの地所にて『Le Figaro』紙の上級記者であるジェームス・ドゥ・コケより、レジオン ドヌール勲章を授けられるクリスチャン・ディオール。

1950

ロンドンでのショー

4月26日、クリスチャン ディオールはロンドンのフランス大使館で、エリザベス女王、女王の母、その娘のマーガレット王女に彼のコレクションを披露しました。

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1950年4月25日にロンドンのサヴォイホテルにて開催された、1950 春夏 オートクチュール コレクションのプレゼンテーション。

1950

La Colle Noire

クリスチャン・ディオールは、南フランスのモントルーにあるラ コル ノワール城を購入します。

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ラ コル ノワールの敷地、1950年頃

私は、田舎の家のような住宅を夢見ていました。それはかつて年配の家族を訪れに連れて行ってもらったような場所です。そのことは今でも、良い思い出として心に残っています。もしかしたら私は、最初の職業だったインテリアと建築に傾倒しているだけなのかもしれませんね」

クリスチャン・ディオール、『Dior by Dior』、1958年

1951

『Je suis couturier (私は流行をつくる) (英語版 Talking About Fashion)』の出版

ディオール社は今や、900名のスタッフを抱えるまでになりました。1951年夏発行の雑誌『ELLE』で発表された一連の作品に続き、クリスチャン・ディオールは、自身初の著書となる『Je Suis Couturier (私は流行をつくる)』(1954年に『Talking About Fashion』として英語で出版) を出版します。

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1951年8月27日発行の『ELLE』誌に掲載された記事からの抜粋。モンテーニュ通りとフランソワ・プルミエ通りが交わる一角に建つタウンハウスの断面図により、ファッションメゾンの組織が示されています。

「モンテーニュ通りは目覚ましい変化を遂げました。最初の小さな家は均整の取れた美しい姿をしており、それを帝国のために犠牲にしようとは思いませんが、その小さな家の裏側には、9階建ての巨大なビルがそびえ立っているのです」

クリスチャン・ディオール、『Dior by Dior』、1958年

1952

Christian Dior London

Christian Dior (C.D.) Models Ltd.がロンドンにて設立されました。

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1955年頃、「シンフォニー」ドレスのラベル。ディオール ヘリテージコレクション
1953

Caracas

ベネズエラのカラカスに、ラテンアメリカ初のクリスチャン ディオール ブティックがオープンします。モンテーニュ通り30番地をほぼ完璧に再現したこのブティックには、フランスでトレーニングを受けたスタッフが配置され、新しい顧客のためにパリのメイド トゥ メジャー コレクションを製作しています。

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クリスチャン ディオール メゾンのプレゼンテーションパンフレット。「世界各地の支社および関連企業」、1953年。

1953

Roger Vivier

ロジェ・ヴィヴィエがデザインしたカスタムメイド シューズを製作する、Christian Dior-Delman社が設立されました。その後、1958年、このブランドは「Christian Dior by Roger Vivier」となりました。

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1960年の「ヴェルサイユ」パンプス。Christian Dior by Roger Vivier
1953

ジュール=サンドゥ大通りへ引っ越し

クリスチャン・ディオールは、パリ16区のジュール=サンドゥ大通りにあるアパートメントに引っ越します。

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1957年、ジュール=サンドゥ大通り7番地のプライベート マンションで過ごすクリスチャン・ディオール。

1954

『Christian Dior's Little Dictionary of Fashion』の出版

『Christian Dior's Little Dictionary of Fashion』が、米国と英国で出版されます。

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1954

ブレナム宮殿でのコレクションショー

11月3日、ブレナム宮殿にて、マールボロ公爵夫人がクリスチャン ディオール ショーを開催。マーガレット王女も参加し、英国赤十字のための募金活動が行われました。1,600名を超えるゲストが訪れ、英国貴族社会の中心にメゾンの名が刻まれました。

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ブレナム宮殿で披露された1954 秋冬 コレクション。映像提供:British Pathé

1955

ブティックのオープン

モンテーニュ通りとフランソワ・プルミエ通りが交わる一角に、ヴィクトール・グランピエールが内装を手がけたブティックがオープン。Parfums Christian Diorでは、22種類のカラーが揃う初のリップスティック ボックスセットが発売されます。

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1960年、モンテーニュ通りとフランソワ・プルミエ通りが交わる一角に建つ、クリスチャン ディオール ブティックの外観。
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1956年頃、ブティックの一角に設けられたフレグランス専門コーナー。リップスティックも何点か飾られています。
1955

ソルボンヌのレクチャー

8月3日、クリスチャン・ディオールはパリのソルボンヌにある大円形劇場でレクチャーとコレクションショーを行いました。

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「バー」スーツを着たモデルのルネを写した、ウィリー・メイワルドによるこの有名な写真 (1947 春夏 オートクチュール コレクション) は、1955年にソルボンヌでクリスチャン・ディオールが行ったレクチャーの際に撮影されました。

1956

Dior by Dior』の出版

クリスチャン・ディオールが自伝『Dior by Dior』を出版。さらに、数か国で翻訳版も出版されました。

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1956年出版の『Christian Dior et moi』の初版

「ディオール メゾンについて語るとき、私がそれを好むと好まざるとにかかわらず、どうしても私自身、クリスチャンについて話すことになります。自分自身を説明するのは本当に難しいことです。人間が自分のことを本当に知ることなどできるのでしょうか?」

クリスチャン・ディオール、『Dior by Dior』、1958年

1956

Diorissimo

スズランをメインノートに据えた「ディオリッシモ」フレグランスの発表。

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1956年、バカラのクリア クリスタルに入った限定版の「ディオリッシモ」フレグランス。
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1956年、ルネ・グリュオーによる「ディオリッシモ」フレグランスの広告イラスト。
1957

『Time』誌

3月4日、クリスチャン・ディオールが『Time』誌の表紙を飾ります。

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1957年3月4日、『Time』誌の表紙

1957

クリスチャン・ディオール死去

10月24日夜、クリスチャン・ディオールはイタリアのモンテカティーニで、心臓発作が原因で亡くなります。彼の希望を受け、初のアシスタントとして1955年以来スタジオで働いていたイヴ・サンローランが、同ブランドのクリエイティブ ディレクターに任命されました。

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1957年11月2日発行の『Paris Match』誌の表紙 撮影:ジャック・ガラファロ
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クリスチャン・ディオールの死後、その訃報は1957年10月30日に放映されました。

1958
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1958

Yves Saint Laurent

Yves Saint Laurent

1955年、わずか19歳だったイヴ・サンローランは、クリスチャン・ディオールのアシスタントに任命されました。そして1957年10月、メゾンを創設したクチュリエの急逝を受け、サンローランがメゾンのクリエイティブ ディレクターに就任します。彼のファーストコレクション「トラペーズ」は、身体の自由を希求し、解放の精神を注ぎ込むものでした。そのアイコニックなスタイルは60年代の若者を魅了しました。彼の大胆なデザインは、ディオールの1960 秋冬 コレクションの「ビートニク」から、とりわけ強いインスピレーションを受けていました。それは、ファッション界のアヴァンギャルドなビジョンを体現するコレクションでした。

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イヴ・サンローラン、セラファン・ドゥチェリエ撮影 (S75)

1958

イヴ・サンローランによる、クリスチャン ディオールのためのファーストコレクション

1月30日、イヴ・サンローランは初のコレクションを発表。革新的な「トラペーズ」ラインは、メゾンディオールの歴史の転換点となりました。

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クリスチャン・ディオールのためのファーストコレクションの発表後、モンテーニュ通り30番地のバルコニーに立つイヴ・サンローラン。
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1958 春夏 コレクションのコレクションチャートの1ページ。この資料はアクティビティと時間帯別にルックを分類・リスト化しています。スケッチ、アトリエ、ファブリック、名称、そして着用するモデルの名前によって、ルックを識別しました。

「このファッションの主な要素は、若々しさ、そして何よりも忘れ去られたトレンドへの回帰。いわゆるシンプルさ、自然さ、しなやかさなのです」

イヴ・サンローラン

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1960 秋冬 オートクチュール コレクションの「スプレス、レジェレテ、ヴィ」ラインの「ボスフォラス」デザインのために描かれた、イヴ・サンローランによるスケッチ。
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1960

Marc Bohan

11月、クリスチャン ディオールの新たなクリエイティブ ディレクターにマルク・ボアンが任命されました。

ジャン・パトゥのデザイナーを経験した後、ロベール・ピゲのアシスタントデザイナーを務めていたマルク・ボアンは、1958年にロンドンの子会社のクリエイティブ ディレクターとしてメゾンに加わりました。1960年、パリのクチュールメゾンのクリエイティブ ディレクターに就任し、女性らしさの現代的な概念を反映した「スリムルック」を生み出しました。アートの世界、特にジャクソン・ポロックの抽象的な表現に魅了されたマルク・ボアンは、エレガントでシンプルな仕立てのモダンなシルエットを、ほぼ30年間にわたりディオールのためにデザインし続けました。彼のユニークなスタイルは、多くのハリウッドスターに愛されました。

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マルク・ボアン、セラファン・ドゥチェリエ撮影 (S75)

「ファッションとは明白に欠かすことにできないもの。ほんの一瞬、必ず愛することになるだろう。そしてほんの一瞬でも愛せなければ、一生愛することはないだろう」

マルク・ボアン - フィリップ・オーストルクの「マルク・ボアン:クリスチャン ディオールでの25年間のクリエイション」(1982年11月発行の『L'Officiel de la couture et de la mode de Paris』誌 第687号) より

1966

Eau Sauvage

ディオール初のメンズフレグランス「オー ソヴァージュ」。エドモン・ルドニッカによって生み出されたこの香りは、男性のフレグランスに革命を起こしました。

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1966年、「オー ソヴァージュ」オー ドゥ トワレ

1967

ディオール メイクアップ

セルジュ・ルタンスは、ディオール メイクアップのクリエイティブ & イメージ ディレクターに就任し、1980年にティエンがその後継者となるまで12年間にわたって在籍しました。

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1969 春夏 セルジュ・ルタンスによる「エクスプロージョン ドゥ カラー」コレクション 撮影:ピーター・ナップ
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1997年、ティエンによる「ディオリフィック」リップスティック 撮影:ティエン
1967

Miss Dior

フィリップ・ギボージュが、クチュールメゾンのプレタポルテライン「ミス ディオール」を作成。

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1967年、「ミス ディオール」プレタポルテラインのためのルネ・グリュオーによるイラスト
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「レステ ミス」、1968 秋冬「ミス ディオール」コレクションのルック17および18
1967

Baby Dior

11月8日、モナコ公国のグレース公妃が、モンテーニュ通り28番地に初のBaby Diorブティックをオープンします。

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1967年11月7日、Baby Diorの製作に関するプレスリリース。
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1967年11月8日、Baby Diorブティックのオープン。
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1967年11月8日、マルク・ボアンとともにモナコ公国のグレース公妃がBaby Diorブティックをオープン。© INA.

1968

Frédéric Castet

1953年以来テイラリング ワークショップのリーダーを務めているフレデリック・カステが、「オート フリュール」コレクションのクリエイティブ ディレクターに就任。

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1970年頃、フレデリック・カステのポートレート
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1972年、「オート フリュール」ルック
1969

Christian Dior Monsieur

マルク・ボアンが「クリスチャン ディオール ムッシュ」ラインを製作。このラインのディレクターは、のちにクリスチャン・ブネ、次にジェラール・ペネルーへと変わり、1983年にはドミニク・モルロッティが主導しました。

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1970 春夏、初の「ブティック ムッシュ」コレクションのためのマルク・ボアンによるスケッチ。
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1970 春夏「ブティック ムッシュ」コレクションのルックをまとったマルク・ボアン。
1985

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フレグランス「プワゾン」誕生。新フレグランスの発売を記念してヴォー=ル=ヴィコント城で開催された舞踏会に、イザベル・アジャーニが主賓として招かれました。

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「プワゾン」フレグランス、1985年
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1985年9月17日、ヴォー=ル=ヴィコント城で開催される舞踏会のための、イザベル・アジャーニ宛ての招待状。
1987

メゾン クリスチャン ディオール 40周年

メゾン クリスチャン ディオールの40周年を記念して、フランソワ・ミッテラン大統領が創設した装飾芸術美術館にて、大規模な回顧展を開催。

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1987年3月19日、フランソワ・ミッテラン共和国大統領が創設した装飾芸術美術館にて開催された「Hommage à Christian Dior」展。
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1987年、装飾芸術美術館にて開催された《Hommage à Christian Dior》展。
1989
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1989

Gianfranco Ferré

ジャンフランコ・フェレがディオール ウィメンズコレクションのクリエイティブ ディレクターに就任

ポストモダンなファッションビジョンをもつイタリア人デザイナーは、ディオールのコードを讃え、スーツがもつエレガントで建築的なラインと壮麗なイブニングドレスの華やかさを通して、オートクチュールを再び輝かせました。クリスチャン・ディオールがそうであったように、情熱的なアート愛好家であった彼は、ポール・セザンヌの色調を1995-1996 秋冬 オートクチュール コレクションに取り入れ、グラン・パレで開催されていた画家の回顧展との一致を表現しました。

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ジャンフランコ・フェレ、セラファン・ドゥチェリエ撮影 (S75)

「この一流メゾンに着任した時、フィット感のあるシルエット、大きなボウ、たっぷりとしたオーガンジーなど、ディオールのスタイルを尊重したいと考えました。その伝統にオマージュを捧げざるを得ませんでした」

ジャンフランコ・フェレ『Lettres à un jeune couturier』、1995年

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1989 秋冬 オートクチュール「アスコット-セシル・ビートン」コレクション、「アルビートル」スーツ © Guy Marineau
1992

Patrick Lavoix

パトリック・ラヴォワがクリスチャン ディオール ムッシュのクリエイティブ ディレクターに就任。

1996
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1996

John Galliano

10月14日、ジョン・ガリアーノがジャンフランコ・フェレの後任となります。

ロックンロールの精神を宿した英国人デザイナーである彼は、その華やかなセンスで知られていました。1996年にジョン・ガリアーノは、自身の夢のような想像力でディオール オートクチュールの伝統を再構築しました。彼のハイブリッドなビジョンに多彩なインスピレーションが組み合わされ、ディオールのアトリエの卓越した技術を通じて、世界の文化と職人の豊かな文化が際立ちました。壮観な舞台美術でさらなる高みへと引き上げられた彼のショーは、どれも驚くべき世界への旅として考案されていました。

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ジョン・ガリアーノ、セラファン・ドゥチェリエ撮影 (S75)

「ディオール ウーマンは、グラマラスな魅力、力強さ、洗練の真髄を体現している」

ジョン・ガリアーノ

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1997 春夏 オートクチュール コレクション、「ディオセラ」アンサンブル © Guy Marineau
1996

Lady Dior

1995年、ダイアナ妃のパリへの公式訪問の際にベルナデット・シラクが彼女に贈ったディオールの最新バッグは、その後、敬意を表して「レディ ディオール」と改名されました。メゾン創立50周年を記念して、ニューヨークのメトロポリタン美術館で大規模な展覧会を開催。1996年12月のそのローンチパーティには、ジョン・ガリアーノが初めて手掛けたディオール ドレスをまとったダイアナ妃も参加しました。

1997

クリスチャン ディオール ミュージアム

クリスチャン・ディオールが幼少期を過ごした、ノルマンディー州グランヴィルにある「レ リュンブ」の家に、ミュゼ クリスチャン ディオールがオープン。

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クリスチャン・ディオールが幼少期を過ごした「レ リュンブ」のヴィラは、現在ミュゼ クリスチャン ディオールとなっている。

1998

Dior Joaillerie

ディオール ファイン ジュエリーは、ヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌをクリエイティブ ディレクターに迎えて設立されました。

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ヴィクトワール・ドゥ・カステラーヌのポートレート
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「Incroyables et Merveilleuses」コレクション、1999年
1999

J’adore

「J'adore」フレグランス 誕生

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「ジャドール」フレグランス、1999年
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エルベ・ヴァン・デル・ストラテンによる「ジャドール」のドローイング、1999年
2000

Hedi Slimane

エディ・スリマンのクリエイティブ ディレクター就任にともない、「クリスチャン ディオール ムッシュ」を「ディオール オム」に改名。

2006

François Demachy

フランソワ・ドゥマシーがメゾンのフレグランス クリエイターに就任。

2007

Kris Van Assche

クリス・ヴァン・アッシュが、エディ・スリマンの後任としてディオール オムのクリエイティブ ディレクターに就任します。

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クリス・ヴァン・アッシュのポートレート
2011

ジョン・ガリアーノ退任

アシスタント デザイナーのビル・ゲイッテンが後任を務め、次の4つのコレクションを担当。

2012
Asset Access
2012

Raf Simons

ラフ・シモンズがディオール ウィメンズ コレクションのクリエイティブ ディレクターに就任。

アントワープにある王立芸術アカデミーを卒業したベルギー人デザイナーが、洗練されたミニマルなシグネチャーを用いて、ディオールのタイムレスなコードをアップデートしました。コレクションを通して、彼はクリスチャン・ディオールによる「フラワーウーマン」を優美な曲線で再解釈し、彼女を建築的なシルエットに変容させました。また、彼の断固とした現代的な精神を反映したパンツスーツとして、「ニュールック」を巧みに生まれ変わらせました。

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ラフ・シモンズ、セラファン・ドゥチェリエ撮影 (S75)

「ディオールのヘリテージは挑戦すべき課題です。巨大で壮麗なヘリテージに達するまで、情熱を持ち、気を奮い立たせ続けなければならないでしょう」

ラフ・シモンズ、フレデリック・チェン監督のドキュメンタリー映画《Dior and I》より

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2012 秋冬 オートクチュール コレクションのルック
2014

Peter Philips

ピーター・フィリップスがディオール メイクアップのクリエイティブ & イメージ ディレクターに就任。

PETER PHILIPS CREATIVE AND IMAGE DIRECTOR FOR DIOR MAKEUP RICHARD BURBRIDGE copie

リチャード・バーブリッジによる、ピーター・フィリップスのポートレート

2015

10月、ラフ・シモンズが退任。後任はセルジュ・ルフューとルーシー・マイヤー。

PORTRAIT Maripol
2016

Maria Grazia Chiuri

2016

マリア・グラツィア・キウリが、ディオール初の女性クリエイティブ ディレクターに就任。

マリア・グラツィア・キウリは、ディオールに着任して以来、女性の世界的なエンパワーメントと本質的で揺るぎないシスターフッドの理念を推進してきました。マニフェストとして捉えられた彼女のコレクションのメッセージは、フェミニストの革命、進化によって前進させられた価値観を讃え、命令や固定概念を超越します。シーズンを超え、数えきれないほどのクリエイティブな対話を重ねることで、彼女はその大胆なビジョンで、ディオールのタイムレスなアイコンやコードを再解釈しています。マリア・グラツィア・キウリは、世界中のアーティストや職人とのコラボレーションを通じて常に知識と文化の貴重なつながりを紡ぎ出し、ディオールのショー一つひとつを、集合的な、そして社会的につながった芸術作品に昇華します。

「私は美術館の管理員のように仕事に取り組もうと決意しました。メゾンに着任し、素晴らしいヘリテージを見つけ、そのあらゆる面を自由に利用しています」

マリア・グラツィア・キウリ

Maria Grazia Chiuri Placeholder

マリア・グラツィア・キウリ、セラファン・ドゥチェリエ撮影 (S75)

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2017 春夏 オートクチュール コレクション、「レーヴ アンフィニ」アンサンブル
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2022 春夏 オートクチュール コレクション

2017

Christian Dior: Designer of Dreams

クリスチャン ディオールは創設70周年を迎えました。回顧展『Christian Dior: Designer of Dreams』を、パリの装飾芸術美術館にて開催。その後、この展示は世界中を巡ります。

THE DIOR SESSIONS KIM JONES BY NIKOLAI VON BISMARCK 7
2018

Kim Jones

2018年3月19日、キム・ジョーンズがディオール メンズ コレクションのクリエイティブ ディレクターに就任。

Dior men SUMMER 19 look 2 BY PATRICE STABLE opt
© Patrice Stable
2021

フランシス・クルジャンがパフューム クリエイション ディレクターに就任。

2022

「ラ ギャラリー ディオール」のオープン

クリスチャン ディオールのファーストコレクションが発表されてから75年となったこの年、メゾンは発祥の地であるモンテーニュ通り30番地をリニューアルしました。その建物内にオープンした「ラ ギャラリー ディオール」では、クリスチャン・ディオールとその6人の後継者たち (イヴ・サンローラン、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレ、ジョン・ガリアーノ、ラフ・シモンズ、マリア・グラツィア・キウリ) の大胆なビジョンをご覧いただけます。独創的な舞台背景として物語を紡いできた「ラ ギャラリー ディオール」は、パリのオートクチュールのエスプリを体現しつつ、歴史発祥の地の記憶を永遠にとどめます。

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